今回の件はどのような社会変化をもたらすんでしょうね。
特に注目すべきはどういうフレーミングが用いられるかでしょうね。テロリズムというふうにいわれれば少なくとも、街頭監視の強化、ある種の言論統制、警察費・防衛費の増大などを正当化する根拠になるでしょうね。
またその前提としての自民党圧勝や一般的信頼の低下ももたらすでしょうね。2日後に野党の議席がどれくらい残っているのでしょうか。
安倍氏への賛否にかかわらずみなを不幸にする出来事だと思いますね。
ただ、それとは別に安倍氏自身が法に抵触すると思われる行為を繰り返していたことは記憶されるべきでしょうね。
しかしそれが原因で襲撃された(しないほうがいいと思いますが)と言い切れるかどうかは微妙な気がします。むしろ安倍氏の逸脱行為と今回の襲撃事件はある種パラレルというか、共通する前提条件から生まれてきたという仮説を試しに考えてみたいと思います。
この仮説をむりやり具体的にすると、政治的な対抗勢力とか社会運動体の弱さというのが共通する条件の一つとして挙げられるのではないかと思います。それによって安倍氏の権力濫用を許す雰囲気ができ、また他方では、何らかの社会運動体に包摂あるいは共感を抱けていたかもしれない人が、一人でどんどん先鋭的になっていってしまった…。みたいな。
まあかなり雑ですが、単に義憤とかテロリズムという以外のフレーミングでこの件を位置づける必要がある気がします。