ジャングルジムから比叡山:2021年8月−10月

2021年10月31日

投票の日の投票場の小学校の雰囲気が結構好きだということに気づいた。広い空間で、しんとしていて、しかし人の気配はないわけではないという。本でも読むのに最適な気がする。

小学校に入れる機会もなかなかないので、人目をはばからずジャングルジムに登ってしまった。すると比叡山がよくみえて、正岡子規とかだったら一句詠めそうなレベルのエモさが襲ってきた。ただクロックスでジャングルジムは怖い。

きょうは天気が良くてよかった。たしか同じ時期にやっていた前の衆院選は雨が降ってとても寒かった。わたしは当日は某新聞の出口調査のバイトで今熊野の廃校になった小学校に行っていたのだが、寒いうえに人が捕まらずべそをかきそうになっていた。最終的にはまあなんとかなったのだが。

今回は死票にならないといいな〜

2021年10月29日

  • 関心が拡散し続けているので、近いうちに一回KJ法的な整理のプロセスを挟ませておきたい。あるいはそれほど気負わずに小さな範囲で拡散と整理を繰り返すというのでもいいかもしれない
  • 労働とはなにか、仕事とはなにか、という点についてもひきつづき考えていきたい

2021年10月27日

①日ごろから自分のやっていることに「研究」という語をあてがうことに強い違和感があったのだが、その正体がわかった気がした。

まず「研究」というと大仰な響きがあり、遊びの感覚が失われるような気がする。結局「研究」(とよばれるもの)は第一義的にはエモさや楽しさの追求で、なにか観念的・実利的目的のためにやっているわけではないと思う。目的意識というのは案外脆いものではないか。それ自体において楽しい・エモいという感覚のほうが遥かに強度がある。そしてそういう感覚がする領域とかテーマは幸いにも確かに存在するので、そのあたりで戯れているほかない。

もちろんエモさや楽しさの感覚を事後的に頭のなかで何らかの「目的」らしきものと合致させることは可能だと思うが、最初から「自分がこれを調べる目的」を言語化しようとかしているとかえってもたなくなるというのがいまの私の感覚。昔はこういう言説に対してこそ違和感を覚えていたのだが最近一気に考え方が変わってきた。

「研究」とほかの行為を区別することに対する違和感、ともいえる。寝てても歩いてても何らかのアイディアは無意識のうちに考えられているだろう。つまり「研究」は日々の生活のなかに埋め込まれている。

そもそも本を読んだり文章を書いたりという異質な行為の数々を「研究」の一語にまとめて概念化してしまうのが謎すぎる。以前、現代における最高の知性のひとりであるトリプルファイヤーの鳥居氏がブログが何かで、キック、スネア、ハイハットなどまったく異質の音と形状を持つ楽器部品たちが「ドラム」の一語で総称されてしまうことに対する違和感を綴っていたが、これが私の言いたいことのイメージを正確に描写している。

本を読んでいるときとかにいちいち「これは研究です」とか「これは研究のため」とか考えていたら頭がおかしくなりそうだ。「研究」という言葉を使っているから「研究」というのが奉仕すべき何らかの目的をもつ固有の概念であるかのように錯覚してしまうのだ。とにかく「研究」という言葉はあまり使いたくない。

②読書会でいま考えていることについて話すことができて嬉しかった。最初はまだあまりまとまってないからちょっとためらったのだが、ここでいわないのもと思って後半に機を見計らって一気に喋ってしまった。そうしたらみなポジティブなフィードバックをくれて感動さえしてしまった。自分の楽しいことを話していい感じの反応が返ってきたらそれは楽しいに決まっている。

前もどこかに同じようなことを書いたが、「嬉々として人にしゃべれること」を中心に人生を構成していきたいと思っている。「嬉々として」というのがポイントである。これはつまり理性を突き抜けて情動のレベルでエモさみたいなものを感じているということだ。エモいという言葉は批判されがちな気もするが、私の感覚にはかなりしっくりくる。エモさに包まれたならきっと、目に映るすべてのことが研究テーマ??

2021年10月26日

火曜は一応私にとっては休日なのだが、これからの研究で必要になりそうな本を借りるために学内を駆けずり回ったり、その他諸々の用を済ませたりしていたら一日終わった。

Daniel MillerのMaterialityと森田敦郎『野生のエンジニアリング』を借りた。前者は消費の文脈でモノが人間に与える影響を考察した(?)人類学の準古典的な本らしい。後者は前から知っていたが読んでなかった。たぶんアクターネットワーク理論の拡張みたいな感じなのかな?

夜、半年ぶりくらいに恵文社に行った。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』という本を買ってみた。最近まさにそのことについて考えているため。

今日の一枚

最近出たアルバム。Cory Henryはなんというか、安心感のある曲をつくる。スティービー・ワンダーとハービー・ハンコックを足して2で割ったような感じ(?)。なので年配の方にもおすすめできる。

2021年10月25日

最近カフェ探訪が日課となっているが、今日は河原町今出川をだいぶ下がったあたりにあるタナカコーヒーというところに初めて入ってみた。ここは存在は昔から知っていたのだが喫煙可なのが気にかかってなかなか行けずにいた。しかし今日は天候などの諸条件が重なって選択肢が他になく入ってみた次第。

ここのところハマっているウィンナ・コーヒーを頼んで、論文を二つばかし読んだ。私のいた時間帯は他のお客さんが少なかったこともあってたばこの匂いは意外と気にならなかった。むしろ少し空気が淀んでいるところのほうが読書に集中できたりするものだ。しかしコロナ的にはまちがいなくアウト。

最近気晴らしに吉本隆明と糸井重里の対談本といういかにも一昔まえな感じの本を読んでいる(『悪人正機』というタイトル)。そこで吉本が仕事選びの基準として、仕事内容云々よりも「建物がきれいなら毎日行きたくなるんじゃないですか?」といって糸井が仰天するくだりがあるのだが、実は私も数年前からまったく同じことを考えており、なんなら就活中の友人にこの話をして「は?」みたいな顔をされたこともある。

私がさらにいい感じの職場の条件として考えるのは、トイレにウォシュレットが付いていること、服とか音楽のテイストが似ている人が身近に最低1人はいること、掃除とか出入りの業者の人たちに敬意を払っていること、など。そのうえで仕事内容にも納得できたらいうことないのでは!?

本日のイヤーワーム。ベースのリフが頭から離れなくなってしまっている。


2021年10月24日

祇園のあたりに用があったのだが土地勘がないので迷ってしまった。しかしそのおかげでこのあたりの地理をなんとなく把握した。

まず南北の通りでいうと、縄手通と東大路のあいだに走っているのが花見小路通、意外と幅が広い。東西の通りは、三条京阪の近くの廃校の小学校の前を走っているのが若松通。それから縄手通を南下して新門前通、古門前通、新橋通、白川筋(この2つが白川を挟む)、末吉町通、富永町通。この東西の通りは雰囲気的には2つずつセットという感じ。下に行くほど俗っぽくなる。というかこわい。歌舞伎町をコンパクトにしたイメージ。

また花見小路通と東大路通の間に白川に沿って東西方向に通りが走っているが、ここの通りが水べり特有の開放的な雰囲気を漂わせていて非常に気に入った。

大学に行ったところ文学部棟が電気工事で入れなかったので、荒神口の南らへんにあるかもがわカフェというところに移動した。座り心地の良い椅子、明るすぎない照明、でかめの観葉植物などが空間に落ち着きをもたらしていた。

2021年10月23日

アフリカ某国の研究をしている友人に大阪のアフリカ料理屋に連れていってもらったのだが、そこに居合わせたセネガル出身の男性とガンビア出身の男性のやりとりがめちゃくちゃ面白かった。

というのは、地図を見てもらえばわかるがガンビアの領土はセネガルに囲まれており、この二国のつながりはきわめて深い。そこでお互いをイジるジョークが蓄積されているようで、「ガンビアは人口が200人しかいない」「セネガルの魚はまずい」「ガンビアはすべてのものをセネガルからの輸入に頼っている(多分これは真実に近い)」などというやりとりをずっと続けていた。たぶん鉄板ネタなんだろうなと思いつつも爆笑してしまった。

店には他にも関西在住の西アフリカ出身の人々が集まっており、終始朗らかな雰囲気で時間が過ぎていった(ようにみえた。日本で生きることの苦渋はもはや前提という感じなのかもしれぬ)。実際、フランス語がまったく理解できない私でも楽しめた。ただ私は一度エチオピアに行ったことがあるのでそれがいい感じの話の接ぎ穂になった感はある。

コロナが沈静化するのであればアフリカにはまた行きたい。というかどこでもいいので海を渡りたい…。遠い昔に挫折したフランス語もまた勉強してみたい(口だけ)

2021年10月22日

22時までの営業を再開したカフェコレクションのスピーカーの前の席に座り、通常サイズと同じ値段で提供されるオムライス大サイズが運ばれてきたあたりでちょうどトーキング・ヘッズのHouses in Motionが流れた。

店のBGMで好きな曲がかかるのはうれしい。5月くらいにコーヒーハウスマキでVira Talisaを聴いた以来の感覚である。いろいろなことがあった週の終わりにカフェで好きな曲が流れるのは祝福といっていいんじゃないか。

2021年10月21日

最近よいと思ったアルバム

待望の新譜。

もはや時代精神。

Monday満ちるは過小評価されているのではないか😤

2021年10月19日

週に一度の休日であるが、出町座で見逃した吉開菜央を観に、豊中(!)まで行ってきた。豊中市立芸術文化センターというところである。何の予習もせずに行ったら「ほったまるびより」という作品でいきなり柴田聡子らしき人が出てきたので驚いた。エンドロールをみたら確かにそうだった。これからしばらくは部屋で髪の毛とか落ちてるのを観たらこの作品のことを思い出しそう。

北摂地域の妙な文化的豊かさの一種の象徴といえそうな気がした

帰りは梅田に寄ろうと思ったのだが、梅田で降りるのも味気ないので一個手前の中津で降りて散策した。以前何かで見て覚えていたのだが、たしかに中津駅のホームはきわめて狭く、身の危険を感じた。

中津はなんというか私の性癖に刺さる場所であった。私は常々、「ターミナルの一つ先の駅」にエモさを感じており、北池袋や南新宿、廃駅になったが京成の動物園前などの周辺が大好きなのだが、果たして中津もその類のバイブスを放っていた。とくに北池袋に似た雰囲気を感じた。古本屋「ぷれこぐ堂」おすすめ。

中津駅近くの商店街

その後、梅田訪問のルーティンとして白山眼鏡を物色したがやはり高い。坂本龍一くらい稼いでいないと厳しいようだ。つづいて丸善に移動し、2時間ほど滞在した。

サルトルの『実存主義とはなにか』を手にとったところ、人間は自らつくるところのもの以外のなにものでもない、という実存主義的発想が、研究テーマを見失いかけ再構築しようとしている私には救いのように思えて、読みふけってしまった。

結局この本とジャレド・ダイアモンドの『第三のチンパンジー』を買った。後者は最近人間の動物性ということに興味があるため。高校生くらいのとき、人間がゴリラとかチンパンジーにしか見えない時期があったのだが最近またそういう感じになっている。街なかを歩いていても、ああサルが服を着て立って歩いてることだよ、という感想がまず浮かぶようになっている。さて寝るか。

2021年10月17日

イントロが似ている曲。



2021年10月16日

小噺「はっぴいえんど」

ご隠居「熊さん、松本隆、50周年武道館公演ですってな」
熊さん「ほう、そうですか」
ご隠居「はっぴいえんどで岡林信康のバックバンドやってた頃からしたら想像もできんだろうなあ」
熊さん「自衛隊に入ろう、入ろう、入ろう♪」
ご隠居「それは高田渡」
熊さん「ところではっぴいえんどってのは、名前は聞くけどいまいちよくわかりませんね」
ご隠居「その後の大物が在籍していたので祭り上げられているバンドじゃ」
熊さん「ほお。誰がいたんです?」
ご隠居「まずボーカル大瀧詠一、解散後はソロで大ヒットを飛ばした」
熊さん「ベースは?」
ご隠居「細野晴臣、YMOで世界的に有名じゃ」
熊さん「ドラムは?」
ご隠居「松本隆、いま日本ポップス界で最も権威ある作詞家じゃ」
熊さん「ギターは?」
ご隠居「鈴木茂、大麻で捕まっておる」

というのを思いついたが、あまり気持ちのよいサゲ方ではないし、オリジナリティにも欠けている気がする。精進したい。

2021年10月15日

  • 堀川押小路〜烏丸押小路周辺が面白そうだ。喫茶店、焼肉屋、フランス料理屋、昔ながらの洋食屋、ビアバー、など雰囲気良さげなのが集まっている。
  • 南の方で用事があるときは堀川通を通って帰るようにしている。二条城前広場はこの街では珍しい広々とした開放感を与えてくれる。しかし一等地にビジネスにも使われないだだっ広い空間が確保されているのはまさに権威や権力のなせる技。それは皇居前広場、京都御苑、新宿御苑、明治神宮・代々木公園、みな同じ。だがそんな空間に安らぎを感じてしまうというのも国民国家の住人の悲しい性。このまま京都に住むなら転居先は二条城・堀川御池一択という感じがする。
  • 河原町三条の六曜社に初めて行ってみた(足掛け6年京都にいて、モグリにもほどがある)。果たしてすばらしいところだった。異常に読書に集中できた。禁煙は地下だけなので今後も地下のほうに行くと思う

2021年10月12日

今期は火曜を休日にすることにしている。10月12日は一日予定がなかったので街なかにいた。

まず12時からアップリンクでソクーロフの『エルミタージュ幻想』を観た。一言で感想をいえば、時代祭っぽい。一番楽しめるのはロシア史に興味がある人かエルミタージュに行きたい人だろう。

その後街をぶらついていたらKyoto Graphieの本部会場があったので入ってみたらこれが大当たりだった。いくつかおもしろかった作品を挙げよう。

鈴木萌「底翳」は緑内障患者の視界を再現するというコンセプトで、オーディエンスは穴の空いたボックスに入って正面に映し出される映像を観ることになる。これはこれで風流、とはまったくいえないくらいストレスフルな光景であった。

吉田多麻希「Negative Ecology」は、北海道の自然を撮っている作者が現像ミスによってできたシミや汚れをそのまま映し出すことによって、破壊された自然のイメージを表現している。というとよくある発想のようにも思えるが実際に見るとかなり気持ち悪い。

Frederic Mery, In Between Eastsは部屋にアクセサリーとしておいてあったレーニンの像が小ぶりで手に持ちやすそうなのが目を引いた。

レーニン

室町通を四条の方に下っていくと京都芸術センターがある。1回も行ったことがなかった(われながら、モグリにもほどがある)ので入ってみたら案の定おもしろいところだった。

ホー・ツーニェン《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》というものすごくコアな感じの展覧会をやっていた。公式サイトによると

「シンガポール出身のホー・ツーニェンは、歴史的、哲学的なテクストや素材から、映像作品や演劇的パフォーマンスを発表してきたアーティスト。近年は東南アジアの近現代史につながる、第二次世界大戦期の日本に関心を拡げており、その新作が「京都学派」(西田幾多郎[1870〜1945]や田辺元[1885〜1962]を中心に京都帝国大学で形成された知識人のグループ)をテーマにした映像/ VRインスタレーション。山口情報芸術センター[YCAM]での展覧会に続き、今回、作品テーマと深く関わりのある京都で展示を行う。
作品では主に、京都学派の4人の思想家が真珠湾攻撃の直前、1941年11月末に京都・東山の料亭で行った座談会の記録と、同時代の関連テクストや証言を読み解いていく。結果として、太平洋戦争を思想面で支えたと批判も受ける京都学派だが、ここで行うのは歴史の単純化でも、論理の糾弾でもない。3Dアニメーション、日本のアニメの美学を融合させたVRによって、鑑賞者をアニメーションの登場人物へと同一化させながら、「歴史の再演」を目撃させていく。会場は明治初期に開校し、1931年に改築された旧小学校。「過去からの声」を蘇らせるための格好の舞台装置となるに違いない」

ということで、京都学派の戦争責任にかんする解説が背景で流れながら、スクリーンに3Dアニメが映るという、クロスオーバーな感じの展示だった。ちょっと同じようなメディア体験をしたことがないので新鮮。京大、とくに文学研究科においては、京都学派の影響力はまだまだ散見されるので、文学部/文学研究科関係者にすすめたい。

これは獄中にいる三木清のアニメ

また、京都芸術センターでは関西内外の芸術系の催し物のチラシが結構網羅的に置かれていて、情報のハブとしても存在意義は非常に大きいと思った。個人的にはジムの近くなので寄りやすいのがうれしい。

もとは小学校。こういうところ多いよね


入り口の二宮像にマスクしてあるのがかわいい

その後大垣書店、古今烏丸と回って東急ハンズまで来たら入口でフリマをやっていて、いい感じのマグカップがあったので買ってしまった。

上だけ真っ黄色。若干下ぶくれのフォルムも安定感と愛くるしさがある。

あと財布についつい目が行ってしまった。10年間同じのを使っていて、壊れる気配はまったくないのだが思い入れも特にないので、せっかくならもっと積極的に好きといえるものがほしい。はあ消費者根性…。

しかし財布って思ったより高いんですね。財布を買って財布がカラになるんじゃ、入れるものがなくなっちまいますよ〜

ということで適当に歩いていたらザ・芸術の秋みたいな行動をとっていた

2021年10月8日

学振に落ちてから自分の関心を見直していたのだが、一言で言えば私の好奇心の中心にあるのは人とモノの関係(human-object relationship)についての理論的関心なのではないかと思った。というか、大学院に入る直前くらいまではそのように考えていたことを思い出した。その後は色々あって統計学とか格差研究みたいなところの勉強をしていたわけだが、やはり関心ど真ん中ではなかったと認めざるをえない。

正直、格差よりモノについて語っているときのほうが楽しいし長く語れる。人に嬉々として語れるテーマのほうがいいよね。

ということでいまさらながらその関心に近そうな文献を読み漁っている(読み漁るという感覚も久々だ)。そのなかでも松村圭一郎『所有と分配の人類学』は人類学のフィールドワークから近代社会におけるモノの「所有」概念の再構築をめざした意欲作である。最初の10ページくらいしか読んでないが。所有権を使用権、収益権、可処分権などの権利の束(言い換えれば静的な制度)ととらえる一般的な見方では現実の所有現象の複雑さを説明できないというのが大きな流れっぽいが、こういう話には心躍らざるをえない。あとに実例も控えていることを考えるとなおさら楽しみ。

この本はhuman-object relationshipのなかでも「所有」に焦点を当てているわけだが、ほかにも「贈与」とか「市場交換」などもあるね。Aafke Komterによれば社会学や人類学ではモノはもっぱら贈与の対象か市場交換の対象として理論化されてきたそうだ。私はこれに相続というパターンも付け足せるような気がするが、贈与の範疇に入りそうな気もする。このへんのことを考えるには贈与と親族集団との関係に関する研究をさらう必要がある。サーリンズとか?

2021年10月7日

岩波から1981年に出た「叢書文化の現在」という思想系のシリーズ本があり、「編集代表=大江健三郎・中村雄二郎・山口昌男」な時点で時代を感じざるを得ないが、この第3巻「見える家と見えない家」が面白い。例によって最初しか読んでいないが、その最初の論考が演劇の清水邦夫によるもので、生まれ育った新潟の高田近郊の街、新井の家々の土蔵について書いている。

いわく土蔵という空間は一種特別な磁力のようなものがあり、土蔵そのものが自律した空間として家の中にある、みたいな、ごく乱暴に言ってしまうとそういう話なのだが、まとめ方が乱暴すぎてよくある話みたいになってしまった。しかし実際にはもう少し味わい深いので興味があったら読んでほしい。

私はたまたま高田の民泊(町の家 MACHI'S HOUSE)に泊まったことがあり、情景がビビットに想像できたのでそれで面白く感じたという事情もある。新井という地名も記憶にあった。

2021年10月4日

気分が晴れない日々が続いているが、必要以上にネガティブにならないために、日常の喜ぶべき側面に注目していきたい。

というのは自炊がめんどくさく感じても安易に外食しないようになったことである。最近、どうやら自分で作ったものを食べている方が胃腸の調子がいい、ということを学んだためだろう。あと、本当に食べたいものは自分で作るしかないよな〜とも思う。

さらに、炊きあがるのに時間がかかるコメを食べるのを諦めてもっぱら冷凍うどんを主食にしていることも自炊のハードルを下げている。冷凍うどんってあまり買ってなかったけど、相当安いですね。コメよりはさすがに高いが、すぐに食べられる点ではうどんに軍配が上がる。

一時期ハマっていたクスクスは、器につくオリーブオイルの処理がめんどうで飽きてしまった。あ〜

最近読んだとかいうわけではないのだが、高橋和巳は好きな作家である。しかし高橋和巳が好きだということをあまり意識していなかったので高橋和巳について書きたい。

私がいままでに読んだのは邪宗門、悲の器、我が心は石にあらず、わが解体だけだが、一番思い入れがあるのは悲の器。あまり言いたくないがこの本の主人公(ゲス野郎)は今まで読んだ本の中でもトップクラスに感情移入できてしまい、今後の人生を考え直さざるを得なかった。

わが解体は京大闘争のなかで高橋和巳がなにを考えどう行動したかということが病床で書かれたものだ。「長いものに巻かれない」人の思想が胸を打つね。

と同時に、当時の京大周辺の記録としても貴重。現在の図書館の前を行進していく全学連を建物の上から眺めているシーンとか、百万遍門で入構チェックが行われていたとか、文学部棟が占拠されているときに教授会を室町の教会でやってたとか、いまの烏丸今出川の駅ビルで入試をやろうとして、全学連が止めようとしたとか、そらでも思い出せるおもしろエピソードが満載だ。

学生運動はもう少し調べたいんだよな〜〜。

2021年10月3日

ときどき日常会話中に急に変顔をしたり叫びだしたくなったりひたすら意味不明な言葉で返し続けたりしたくなる。こういう、奇行で規範を壊したいという感情はわりと普遍的なのではないかと思う。とはいえ分別がついてくるとこういうことをやり続けるわけにはいかない。

先日なにかの拍子に鳥居みゆきの動画を見たところ、その芸風が奇行への欲望に忠実にみえていたく胸を打たれた。

近年ではイタコ芸的なわかりやすい奇行は封印しているようだが、普通に話していてもインスピレーションの赴くままにギャグで発話を埋め尽くしている。

ボケがどうのツッコミがどうのとへんに役割を作りたがる風潮に常日ごろ辟易しているのだが、鳥居みゆきはそういう枠を超えているようにみえる。鳥居みゆきの芸をみていると、いかに日常会話が儀礼性を帯びた形式的なものであるか痛感させられる。

2021年10月1日

ショートコント「マッカーサー」

腰に手を当てて胸をそらす。数秒経ってから「ありがとうございました〜」

二人組であれば相方は昭和天皇役をやる。

2021年9月30日

最近の消費生活を箇条書きで振り返る。

  • 御幸町六角を下がったあたりにあるmumokutekiという雑貨屋にはじめて入ってみたが結構おもしろそうなスポットである。なにも買わなかったが
  • 眼鏡の新調を考えているのだが、顔が小ぶりなので量販店系で出しているフレームだと選択肢が少なくなってしまうため、今まで行ったことのないちょっと高めの価格帯の眼鏡屋をあちこち冷やかしている。新風館にあるGlobe Specsか、御幸町通りを四条からちょっと上がったところの金子眼鏡がいい気がするが、あまりにも高いのでしばらくは買わないだろう。
  • 堀川鞍馬口と千本鞍馬口の中間くらいにあるさらさ西陣というわりかし有名なカフェにはじめて入ってみた。普通によかった。何より銭湯を居抜きしているだけあって天井が高いのがいい。内装をタイル張りにしているところもいい。ここは落ち着く。Wi-Fiもちゃんとある。そこで学振の結果を見たところ落ちていることが判明したわけですが。はあ。もっとお金がほしい。
  • ちょっと遠めの場所に行きたいな〜

2021年9月20日

曽我部恵一のライブを観てきた。会場は家の近所の紫明会館というところだ。あまり書きすぎると場所を特定されそうだが、マジで近所である。

しかし曽我部氏の告知ツイートを見るまで紫明会館がライブ会場として使われているということを知らなかった。これは京都教育大の同窓会組織の建物らしい。教育大じたいは離れた場所にあるが、隣に教育大付属小学校が建っている。それなりに古く、趣がある建物だ。語彙力がない。

まあなんというか、ライブ会場にはあまりなさそうな感じの建物なので、何を観ても印象的になると思う。

曽我部恵一は20分遅れくらいでやってきた。フジロックを配信で見たときも思ったが、声が若い。もう50歳らしいが。最初のシングルを録ったときにエンジニアの吉田保から声を褒められたというエピソードも紹介していた。あと髪の毛の量が多い。

今回はアコースティックライブということで曽我部氏がギター一本で弾いてたのだが、曲によってギターの音量とか声量をかなり大胆に変えていて、そこらへんの演出が巧みだと思った。一曲だけ、最近出た曲を12弦ギターで弾いていたのだが、12弦ギターって生で聴くとそうとう良いですね。

建物の3階にある会場で、夕焼けが周囲の山にかかる様子をみつつ、コロナ対策のため開けっ放しにされている窓から吹き込む秋風を感じながらギターの音色を聴いていた。これ以上風流なことは思いつかない。

ただライブが進むにつれて日が落ちてきて、けっこう寒くなってしまった。しかし曽我部氏、MCで会場に寒くないか尋ね、寒いと感じている人が大勢とみてとるや会場スタッフに冷房を切るようにお願いしてくれた。なんと気が利く人なんでしょう。

写真は会場の下のフロアで撮ったもの。サニーデイ・サービスが改名したのかと思った。

2021年9月4日

洋服のコーディネートにおいて好きな色の組み合わせがいくつかあるが、体系的に考えたことがなかった。そこで、ここでまとめてみたい。グレースケールの色どうしを組み合わせるのはベタすぎるので除外。

  1. 水色×青
  2. 黄×青
  3. ピンク×青
  4. 白×緑
  5. 赤×グレー
  6. 紫×オレンジ、紫×緑?

1. 同系統の色で明度だけ違う、っていうパターンは何でもいい感じになると思う。なかでも水色と青の組み合わせは非常によくやる

2. 古着屋で買ってきた黄色の麻のシャツを濃い青のジーンズと一緒に着たら非常にしっくりきた。しかし現状で持っている黄色のトップスがそれしかないのであまり実現できていない

3. やはり一着だけくすんだピンクのTシャツを持っているのだが、青系のボトムスとは何でも相性がいい。もう少しやっていきたい

4. カーキ色のボトムスは自分で服を買うようになってからは欠かしたことがないのだが、トップスは白が一番よいと思っている。服に限らず、白に一番合う色は緑だと思う

5. 2つの色の組み合わせで一番好きなのはこれ。この組み合わせのGregoryのリュックサックを長い間使っていたがいまは廃番になっているらしい。惜しい。あと最近この組み合わせのよさげなスニーカーを見つけて心を動かされている。
しかし服ではやったことはない。灰色のボトムスはあるのでまずは赤いTシャツを買うところから

6. 単色で一番好きなのは紫。しかし紫の服自体が多いわけではないのであまり着たことがない。紫は単騎で破壊力が強すぎるので正直何色とも合わない気がする。だとすればむしろ、思い切り合わなさそうなオレンジや緑などと合わせてサイケ感を出したほうが楽しいのではないだろうか。あといま思ったがオレンジと緑の組み合わせも合うと思う。
しかしこれらの色はボトムスで探すのは難しそうなので、トップスで組み合わせて下はグレースケールにするというのが無難な気がする。紫のTシャツとオレンジのシャツを組み合わせてみたい。絶対に楽しい

整理してみると普段よくやっているのは1番と5番だけであることが判明した。もっと好きな色の組み合わせを実現していきたい。

実際には材質とか風合いも重要だと思うが今回は捨象した。

2021年9月3日

5年弱使ったリュックサックが衰弱の徴候を示しはじめた(ボトルホルダー部分のゴムが伸び切っている、容量調節用のひもがダルダルになっているなど)ので、新しい方をお迎えすることにした。これの黒いやつだ。

丸みを帯びたフォルムが独特ですばらしい。中身が入ってなくてもかたちが大きく崩れないのもよい。今年のはじめに梅田の商業ビルで一目見て気になっていたのだが、このたび落手の運びとなった。

ちなみにAmazonで買ったら定価の3分の2の値段だった。どうなってるんだ。

近年の本邦においては、リュックサックはノースフェイスかアークテリクスの黒いのを買うのがもっとも趣味が良いとされているように見受けられるが、やけに高いし、勝ち馬に乗っているみたいでなんかいやなので、奴等には手を出したくない。

まあ、これも消費社会における悲しい卓越化にほかならない。

ちなみにカバンといえば郷里の江戸に工房細野という帆布専門のカバン屋があり、ここのショルダーバッグを長年愛用していた。京都にも一澤帆布系のブランドがいくつかあるがいまいちしっくりこない。やはり細野に如くはない。

なので次に帰省したら細野でショルダーバッグを注文しようと思っているのだが、おいそれと東京に行けない状況が続いている。

2021年8月22日

グレーバーの『ブルシット・ジョブ』日本語版を100ページ少々読んだ。彼の定義ではブルシット・ジョブとは無目的だと分かりきっていながら、暇にならないようにでっち上げられた仕事のこと。こういうものをやっていると、自己効力感が地に落ちてしまう。こういう仕事を英語でmake-workという。これに対してmake-believe play ごっこ遊びはそれ自体が目的となっており、自己効力感を十分に味わえる、自由の表現形態であるという。

ここからはあまり関係ないのだが、ごっこ遊びという概念はいま私が抱えている現実上の問題にもいろいろ応用可能な気がしたので、書いてみる。

たとえば私は今日はぜひとも12時までには寝ていたいのだが、たぶん今のままだとまた夜ふかしをして就寝時刻は12時を回るだろう。「12時に寝る」という目標を意識し、それに対する手段を考えて実行する、というワークフローは思いつくが実行できたことがない。

しかしそういう目標-手段の連関を意識するのではなく、「12時に寝る人」ごっこをする、という発想に立ってみたらどうだろうか。自分は(仕事なのか、何らかの宗教的な規則なのか、その根拠はともかく)12時に寝ることが決まっている人間だと思ってみる。そうするとふしぎなことに、その前提を満たすような、12時以前の行動の流れが思いつく。11時までに入浴を済ませておきたいとか、寝る前に悔いを残さないよう、あと仕事を一区切り終わらせたいとか、でも音楽も聴きたいので仕事中にJBを流しておこうとか、そんな感じである。

思うに「目標-手段」連関の方式だと目標は自分の外部にあることになってしまうが、ごっこ遊び方式では「12時までに寝ること」を、自分自身が納得しており、当然受け入れるべきライフスタイル上の前提として解釈するので、心理的摩擦が少ないのではないだろうか。あるいは「12時にまでに寝よう寝よう」と思うのではなく、12時までに寝る人のフィルターで世界を見てみるというか。

この要領で、「締め切りに間に合うように、数日前に原稿を出す人」ごっこなどをしてみたらどうだろう。暇なときに延々とブルシットな携帯ゲームで遊ばずに原稿ファイルを立ち上げる自分や、3、4時間作業して達成感を味わう自分の姿を想像することができる。そのような自分を自分で演技すればいいのかもしれない。

このように、ごっこ遊びというのはなにか特定の社会的役割(おままごとにおける(近代家族的)「主婦」など)だけでなく、「12時に寝る人」みたいな漠然とした役を想定した上でも実行できるはずで、このやり方で行けば自発的に、知らず識らずのうちに目標を達成することができたりするのではないか? まだ確かめてないからわからないけど…。

それにしても『ブルシット・ジョブ』は素晴らしい本だが日本語版4000円は少々高すぎるので続きはKIndleで英語版を買って読もうと思う。

2021年8月20日

2018年に出た『シティソウルディスクガイド』という本を買ってしまった。現在のシティポップブームの文脈で語ることのできるソウル、ファンク、AORなどの名盤・名曲を年代別に紹介していくという内容だ。

本屋で買おうかどうかかなり迷ったが、自力でディグるのにも限界があるので思い切って買ってしまった。そうしたらよかった。

よかったといっても内容が豊富なのでまだほんの少ししか読んでいないのだが、私の知識量だと、まったく聴いたことのないアーティストから好きなアーティストまでいる感じで、それぞれの位置づけがなんとなくわかりはじめて楽しい。

もちろんいちいちSpotifyやYouTubeで検索して聴きながら読んでいる(なので時間がかかる)。とりあえず、この本で挙げられていていいと思った曲を少し載せてみる。

ジャネット・ジャクソンのGot Til It's Gone。これはたまたま最近自力で知ったのだが、本にも出ていた。ジョニ・ミッチェルからのサンプルが秀逸すぎる。合いの手的に挟まる"Joni Mitchell never lies"というヴァースがイヤーワームになった。

エスペランザ・スポルディング様がポップス寄りのものをつくるとこうなる。彼女自身が弾くベースが少ない音数で最高のグルーヴを生み出している。そのグルーヴがさらにencouragingな歌詞とも共鳴している。

よく名前を聞くけど一回も聴いたことがなかったフランク・オーシャン。ベースのリズムのパターンがちょっと独特だけどこういうのはなんと表現するのだろう。ちょっとレゲエっぽいというのか。とにかくちょっと疾走感のあるグルーヴみたいなのが出ている。それにしても歌詞が骨太で、最近のアメリカの曲って感じである。

2021年8月18日

シティポップの海外での受容についての有識者の対談記事で紹介されていた金悠進「「シティポップ」なきポップス —ジャカルタ都会派音楽の実像—」という論文が非常に面白かった。

インドネシアのシティポップの歴史を整理しながら、現在のインドネシアでのシティポップの特徴として、海外のアーティストだけでなく1970-80年代の黎明期のシティポップ(ポップ・クレアティフ)のアーティストへのドメスティックな参照が盛んに行われることを指摘していた。それによって、インドネシア国内において「シティポップ史」的なものが今まさに確立されつつあるということがわかった。

例えばいま日本でシティポップといったら大貫妙子とか山下達郎、ひいてははっぴいえんどが「正統」なものとして意識されるだろうが、インドネシアでもそういう感じで「原点」みたいにいわれるアーティストがいるらしい。それがGuruh Sukarnoputraや、ChrisyeとNasution兄弟とかだ。ちなみにSukarnoputraはスカルノの息子らしい。

この3名全員が所属していたバンド、Guruh Gipsyの1976年の同名のアルバムが、どうやらインドネシアのシティポップの原点とみなされているようだ。Guruh Gipsyはプログレにかなり影響を受けているので音楽的な志向はぜんぜん違うが、日本における『風街ろまん』的な存在なのではないかと私は推測している。

で、近年の彼らへの再評価の動きの中心にいるのがSOREとかWhite Shoes & The Couples Company、Diskoria、Mariq & D'Essentialsといったアーティスト、あるいはジャカルタのインディ・レーベルDemajorsだそうだ。

Demajorsは前のブログでも紹介した名盤、Vira TalisaのPrimaveraも手掛けていたらしい。

またMariqは私がインドネシアの音楽にハマるきっかけになったアーティストなのだが、このようにインドネシアの音楽史の文脈のなかで位置づけを理解できてよかった。

一言で言って、インドネシアン・ポップスに興味がある人には最高の手引書になる文章だと思った。もちろん学術論文だから、最終的には音楽研究とか地域研究の文脈で結論が示されるのだが、単にインドネシアの音楽に興味があるというだけでも楽しく読めると思う。

Researchmapによると金氏は「自立と依存の文化実践——音楽シーンの発展構造からみるインドネシア民主主義」という博論をお書きになられたようだが、これもめちゃくちゃ面白そうな雰囲気がタイトルから漂っている。読みたい…。

2021年8月17日

アフガニスタン情勢について少しく情報収集してみた。BBCの記事が参考になった気がする。もちろんBBCなりの見方でしかないとは思うが。またAl Jazeeraの速報ページもチェックしている。

アメリカの軍用機にしがみついた人が上空から振り落とされる映像はあまりに衝撃的だった。本当にかわいそうすぎる。いざとなったらそそくさと逃げ帰るアメリカは腹立たしい。とはいえ日本にしてみても、沖縄からアフガンへ派兵されていたわけで、無関係ではない。

また今後の展開をみる上で重要なのは中国の動きだと思うが、その中国はタリバンの首脳と早速接触したらしく、タリバン政権の承認と引き換えに、ジェノサイドが行われているウイグル自治区への不干渉の約束を取り付けようとしているのではないかなどといわれているようだ。まったくろくなアクターがいない。

日本はせめてもの罪滅ぼしとして(というか、普通に)アフガン難民を受け入れるべきだと思うが、難民認定に異常に厳しいスタンスなのでたぶん無理だろう。しかもゼノフォビアが横行している日本に来たところで幸せに生きていけるかどうか心もとない。

アフガニスタンらへんは民族の分布と国家の境界の不一致がとくに激しい地域で、タリバンを構成するパシュトゥーン人はアフガニスタン南部だけでなくパキスタン北部にも多い。アフガニスタン南部の中心都市がウマル師(久々に聞いた名前だ。私が小さい頃はウマル、マスード、ビン・ラディン、などの名前が毎日ニュースで連呼されていた)時代のタリバンの根拠地であったカンダハル(ところでカンダハーというスキー道具屋があるが、あれはカンダハルとは関係あるのか)で、パキスタン北部にはタリバンの拠点とされるクエッタという大都市がある。そもそもタリバン自体がパキスタン発祥らしい。恥ずかしながら今日はじめて知った。

アフガンなどの中央アジア南部は歴史的に非常に複雑な経緯をたどっているので、様々な文化が流入してたいへん見どころがありそうだ。生きているうちに一回くらい観光に行きたい。そのころは平和に暮らせるようになっていてほしい。

ということで微額ながらUNHCRに募金した。これで状況の改善に役立つのかわからないが…。

2021年8月14日

①中公, 2017, 『西洋美術の歴史8 20世紀』の「第5章 身体表象と二〇世紀美術」の「ジェンダーの解体」というところを読んだ。人名や作品をググって、MoMaやTateのページをみながらこの本読むの最高に楽しい。人生の楽しみを見つけてしまった。

興味深いと思ったアーティストを列挙する。

  • Lynda Benglis
  • Judy Chicago - Dinner Party
  • Carolee Schneemann
  • Adrian Piper - 哲学者でもある
  • Chris Burden - 自傷
  • Dennis Oppenheim
  • Viennese Actionismの人々
  • Marina Abramovic - 唯一知っていた名前、しかし知らない作品がたくさん
  • Orlan
  • Gina Pane
  • Vito Acconci

わたしもパフォーマンス・アートしたい。一挙手一投足がパフォーマンス・アートになるような人生を送りたい。

2021年8月13日

①大量のテキストファイルの文字コードを変換する必要があり、このためのUNIXコマンドありそうだと思って探したらあった。nkfという。

  • nkf -g で文字コード表示
  • nkf -w --overwrite でUTF-8バージョンに上書き

②Wikipediaでファンクの歴史を学んだ。ニューオーリンズで原型が生まれ、JBが大きく育てた。P-Funkによってサイケの潮流と合流した。Sly and The Family Stoneによってロックと融合した。Miles Davis, 1972, On the Corner やHerbie Hancock, 1973, Headhunters によってジャズ・ファンクが成立した。こんな感じ?

ソウルやR&Bだけでなくラテン音楽からの影響もある。また公民権運動とのつながりも見逃せない。

その他、ポストJBの代表的アーティスト

  • Dyke and the Blazers
  • Jimmy McGriff
  • Charles Wright & the Watts 103rd Street Rhythm Band 
  • Tower of Power
  • The Meters <- ニューオーリンズ出身、独特の立ち位置
  • The Isley Brothers
  • The Temptations(後期) <- ソウルからファンクへ
  • Rufus & Chaka Khan
  • Bootsy's Rubber Band
  • Ohio Players
  • Con Funk Shun
  • Kool and the Gang
  • The Bar-Kays
  • Commodores
  • Roy Ayers