私以外の人には何を言っているかわからないかもしれないし、私もあとで読み返したらわけがわからなくなっている可能性があるが、メモ。
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夢見ることと足るを知ることのバランスが難しい。理想に程遠いと知りながら、現状のうまくいっている部分にも着目し、うまくいっていることに感謝しながら変化の余地をも感じ取る。
おそらく両方いっぺんにやることが大事。現状維持に甘んじるのは明らかに違うが、カイゼン主義もストイックすぎて長続きしない。
ものごとの進め方として、最初に両極端なアプローチを想定しておくのがしっくりくる。直交する2本のベクトルで張られた平面をまず立ち上げてしまうイメージである。その後、実情を勘案しながら、適宜その平面上での位置取りを変えていく。
鷲田清一が『京都の平熱』で、京都ではお坊さんと舞妓さんという、聖と俗の両方の存在と日常的に接するから、自分をその両極端のあいだの凡夫としてらえることができて安心するみたいなことを書いていた記憶があるが、そんな感じ。