時間殿

今日もたっぷりと日記を書いてしまった。でもしょうがない、最近は本当に発見の多い毎日だから書き留めないと気が済まない。

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あまり表立って教えられることはないが発達の途上で身につけることが期待されている技能というものがある。大量にある。化粧とか。

スケジュール管理というのもその一つだろう。

守らなければいけない約束だけGoogleカレンダーに登録するようにしてきたのだが、今般、修論執筆等にあたってもう少し作業時間を増やすことが不可避になり、そのためにまず作業に当てられる時間を把握する必要が出てきた。そこで、これまで入れてなかった授業とかバイトの予定とか判明しているスケジュールを手当り次第にGoogleカレンダーに入れて、週間ビューで表示させてみた。

するとタイムスケジュールがひと目でわかる。ちょっとへんな感動をしてしまった。なるほど、このように時間という枠組みを使えば、「人生」を可視化することができるのか。便利だ。そうか俺はけっこう予定あるんだなとか、この日は時間とれそうだなとか次々と発見があった。これは面白い。

なにより、時間が有限であるということがはっきり自覚できる。時間は無限にあるわけではない。その有限の時間のなかでとにかくなにか産出することが求められている。いまの私が置かれている状況はそういう状況なのだ。M3には耳の痛い話だ。

しかし同時に、その有限性を自覚することによって、私は時間というものの輪郭にはじめて触れることができた気がする。時間はついに私のもとにやってきた。それはときには冷酷だが、ときには暖かくもある。だから生命体のように感じられる。伸縮性があり、喜怒哀楽がある。私はこれからこの人とともに一生を過ごすことになる。時間が死ぬとき私も一緒に死ぬ。知らんけど。

とりあえずやったらいいとわかっていることを進めていく。何をやればいいかわかっていることに関しては焦るくらいでちょうどいいのかもしれない。あとで歯が痛くなるかもしれないし。稼げるうちに稼いでおきたい。

ただ、不確実性の大きい事柄(諸々の調査とか)に関しては、方針が見えてくるまで時間をかけてもいいのかなと思う。

21世紀最強の個人事業主・村上春樹さんもこう語っている。

「何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。(中略)そういうところに長く時間をかければかけるほどあとがうまく行く」−−『ねじまき鳥クロニクル』第2部17章

時間との付き合い方にもバリエーションがありそうだ。農家が収穫時期も生育期間も異なる複数の野菜を育てるように。

時間殿。

これからよろしく。