なにかを考えて、書くという行為は自分の力だけではなし得ないと痛感している。
何かがきっかけで複数の知識がつながるとか、人と話していてアイデアがまとまるとか、そういう自分以外のちからが働くことで結果的に考えがまとまるのであって「意識的に考えをまとめる」というのはかなり難しいんじゃないか。話しているうちにお互いが自分の関心を鮮明にできるようなディスカッサントを持っている人は幸せだと思う。
言い換えれば、考えようという意識を一度手放せた場合、結果的に考えることができていることが多いように思う。
とりあえずできることは、せいぜいデータとか概念とか問題とかを「仕入れておく」こと、そのうえでリラックスして考えがまとまる恩寵のような瞬間を待つということだろうか? もはやそれは祈りに近い。
このように「恩寵待ち」みたいなところがあるので、規定された分量のテキストが生成できるまでの時間がどれくらいかかるかは読みにくいのだが、しかし実際のところは締切に間に合わせないといけないというジレンマがある。
ただ、「恩寵に遭遇する確率を高めておく」ことくらいはできるかもしれない。何かが生まれるための下準備(素材の仕入れ、下書き)と、何かが生まれそうな状況に身を置く(あそぶ)こと。そこから先はもはや祈り。