学振なるものを一応書いている。
前回は何も分からずにただ書いただけだったが、今回は「学振の哲学」というか、申請書書きの個人的方法論みたいなものを生成する過程として、いうなれば「学振とはなにか」という問いへの個人的応答のプロセスの一部として、学振を実際に書くという作業を位置づけたいと思っている。そのプロセスの中でなにがしかの手応えがつかめればじゅうぶんだろう。
とりあえず重要な指針がある。それは楽しんで書くということである。というよりも、学振を書くことが楽しくなるような方向で作業を進めていく、というイメージだろうか。
そもそも文章を生成するという行為は、私にとっては基本的には楽しい。楽しくなかったら何かでつまづいていると思ったほうがいい。なにかを恐れ、なにかに不安を抱いていると思ったほうがいい。それはたとえば事務手続きの日取りを把握するのを怠っていたりすることからくる。リサーチが不足しているところに不安や恐怖が生じるのだ。おそらく。
というか書類の締切日を間違えて交換留学に行けなかったトラウマをいまだに払拭できておらず、事務手続きを挟む行為全般に対して心理的不安が大きい。どうせ自分は失敗するのだという暗示が無意識裡に働いている。そのような心理を克服する契機にもなるといいな!
申請書を書くのだって楽しいはずなんだよなあ。妄想を書けるしなあ。なんで「学振はつらい」系の言説がはびこっている(ように思われる)のか?
まあ、好きな語彙、好きな調子で書くわけにはいかないけど。学振には学振のナラティブというものがある程度はある。論文よりもナラティブの自由度は低い気がする。